序盤の弱い悪役の代表例

りんごと握力。そんな2つの言葉を同時に聞かされたのならば、よく映画である「お前もこんな風にグチャグチャにしてやろうか!?」的な台詞と一緒に行われる「林檎ぐちゃぁな描写」である。

この場合、りんごを潰す奴はマッチョな男性である。そして脇役である。そしてたまに林檎ジュースを作ってあげたりするような気遣いを有している。ワンパターンじゃいけないと感じているのだろうが、林檎と握力というパターンから脱却する事から始めないとトップスターへの栄光は難しいと思う。

類似現象に「ガキはミルクでも飲んでな!」の台詞と伴にバーのカウンターから「シャー」をやって牛乳を寄越して馬鹿にするパターンをあるが、どっちも同じような物だ。こういうは「わかりやすい悪役演出による主人公の見せ場作り」というのが目的なのだろう。序章部分でヒーローの強さを手軽に見せつけるためには、手軽で単純な悪役が必要なのだろう。


真面目に林檎を握力で潰す事を考えると

そんな事より、あれってどうなんだろうね?林檎ぐちゃあ演出。実際、悪役視点でアレを考えるのならば、結構な面倒事になりそうな気がしてならない。

悪役は「自分の握力で林檎を潰せる事を日頃から確認しておく必要がある」という事である。悪役の標的は別に主人公だけではない。たまたま、強靭たる主人公が到来してしまったから、「林檎ぐちゃあ」を行ったにも関わらず返り討ちにされてしまったけれども、きっと彼は日頃から、あの「林檎ぐちゃあ」をやって一般的な人々を恐怖のどん底に突き落としているはずなのだ。

「ひゃあ、手の中で林檎が潰れた!つまりこの男性は一般的に林檎を潰すの必要な80kgの握力を有しているということ!こりゃあ敵わん!逃げろ!」という普通の人間達の反応を日頃から楽しんでいるからこそ、主人公に対してもドヤ顔で林檎を潰す事ができるのである。

というか、ぶっつけ本番で林檎を潰そうとして、それに失敗したのならば酷い赤っ恥である。「なぜ君は私の眼の前で林檎を握りしめているのかね?君、顔が林檎みたいに赤くなっているよ」ぐらいに舐められた返し方をされること請け合いである。

そんな事態を避けるためにも、彼は日頃から握力を鍛えているだろうし、それを一般の人達にも実践して味をしめている。そんな事を推察できる。

潰す林檎は一つじゃ足りない

さて、その「日頃から林檎を潰している」という前提があると、もう一つの条件が必要になる。それは「常日頃からバーに林檎を用意しておかなければいけない」という事である。

急にバーに、いかにもビビりそうなカモがやって来た時に、在庫の林檎がないのならば自慢の握力もまるで役に立たない。自分の能力を誇示するためには何事にも対象物が必要なのである。

一日の酒場の来客数が何人かは知らないが、毎日やっていると客は見慣れた芸風に飽きてしまうだろうし、1か月に一回程度だとキャラが定着せずに忘れ去られてしまう可能性が高い。

そうなると一週間に一回くらい、大袈裟な反応をしてくれるお客さんに対して「林檎ぐちゃあ」をしなくてはいけない事が考えられる。

一週間に一回。とは言っても、定期的に良いリアクションを取ってくれるお客さんが来るとは限らないし、リクエストを受けたのならば臨機応変に対応するのがプロという物だろう。単純に「一週間に一回やれば、それだけでいいんだ!」というのは素人の考えである。

となると、手元に一個の林檎を控えておくだけでは話にならないのである。不測の事態に対応できない。妥当な数はいくつだろうか?と考えるのならば、3つくらいは持っておきたいのが心情だろう。

とは言っても林檎は生物であり腐るし、腐ってる林檎を潰してもダサいし手が臭くなるだけだから、お店の人に保管の依頼を行なう必要がある。少し話は逸れるが、林檎を潰した後の設備の汚れに対しても許可を得なくてはならないだろう。その辺の協力関係がない身勝手な行動は、パートナーとの信頼関係を害する。


林檎ぐちゃあ

このように、「握力で林檎を潰す」という行為を考えると、そう簡単な事でもない事が分かってくる。

日々の肉体関係。実務を行なう場所への営業。そして何よりもお客様に新鮮さと驚きを体験して貰おうという粋な志。そういう物が揃って「林檎ぐちゃあ」は完成するのである。

そう考えるのならば、「映画の序盤であっさりと主人公に倒されてしまう林檎の人」に対して少しは尊敬の念が湧くような気がしてしまう今日の私は少し疲れているのかもしれない。

林檎ジュースでも飲んで寝よう。