最善のために、現在を認める

できる事をやろう。持っている物を出そう。

そう思い反省する事はよくある。よくある、という事は気付けばまた「できもしないこと」を無理やりやろうとしているのである。やろうとして、できなくて、時間と自信をドブに捨てている。

将来的には「できる」に変わる可能性はある。それを目指す事は構わない。だが、段階を大幅に飛ばして「できもしないこと」をやろうとするのは何も見えていないし何もわかっていない。

言ってしまえば、くだらない人間である事を認めようとしない。完全にそれができれば「くだらない人間に最適化した向上計画案」を捻出する事ができ、忠実に遂行する事ができるのだから、むしろ今よりも成長速度は上がるのである。

上を見て立ち止まっても何も変わらない

空の美しさに足が止まる気持ちは理解できるが、空を仰ぎ見ていつまでも足を止め続けるのは愚行である。

空の上の人、もとい雲の上の人になる人間は呆けた顔を上を見続けている人間ではないはずだ。所謂、俯瞰視点という物を内蔵しているのではないだろうか?

俯瞰とは全体を見渡す能力であるが、その中には当然自分も含まれる。相手も自分も冷静に分析するからこそ超能力的な予知能力が獲得できる訳なのだが、見上げているだけではきっとそれはできないだろう。

「できもしないこと」を延々と悶々と考えて手を止めて生きる、というのは試合が始まっているのに依然として作戦を練っているような事なのかもしれない。

あるがままを受け入れ、自分の道を明確にする

プライドの高さから来るのだろうか?それとも理想の高さからだろうか?どちらも同じものだろうか?

なんであれ、「あるがまま」を認めて生きたい。そうすれば今よりは遥かに楽になるだろうし、上手くいくだろう。

自分が今立っている景色を観察する事で発見できる事はきっとたくさんあるはずなのに。今できる事を黙々と行えば開ける道があるはずなのに。

ない物を求めても、その先には何もない。しかし今確かにある物を追い求めていけば、そこには何かが絶対にあるのだ。

自分が未だに理想に到達できていない、くだらない人間だと明確に認識できれば良い意味で諦めが付くのである。諦める事ができれば、自分ができる事が明確になる。理想という霧を晴らす事ができる。

現実を直視するのは苦しいかもしれない。だが、理想だけ見ていても無益なのだ。

今現在、自分の前に広がっている道を歩きたいものである。