つまりは表現

「だらだらするのは無能の証拠!」
「残業するのはこの世の悪!」
「さっさと行動する事が絶対的正義!」

このような論調は非常に魅力的である。何より残業しないだけの大義名分を獲得できるのが本当に魅力的だ。だからこそ私はこの意見に熱烈な賛同行為をしたい所ではあるのだが、本当にそれでいいのだろうか?

つまりは、だらだらするのは本当に悪い事なのか?という話である。

「だらだら」という表現をすると絶対的に悪い行為のように思えるけれど、要はリラックスタイムを作る、という事だろう。それは本当に悪いのか?という話だ。

リラックスしないで、脳を常にビジーモードにし続ける事が本当に成果の高い仕事に繋がるのか?という話だ。

「だらだら」をリラックスに置き換えて、「常に忙しく働く」を一切脳を休憩させないに置き換えると、これは案外危険な考えであるように思える。

閃きや長期的な視点はリラックスしている時に生まれることを私は体感的に知っている。

常に忙しくしていると、目先の事しか考えられないし、つまらないミスを起してしまうことを私は経験している。

確かに時間と効率はどちらも大事な要素である。だからこそ、乱暴に切り詰めて良い物ではないと思う。

注目のために書く人もいる

こう、ライフハック的な記事って、推薦したい物事を綺麗な表現で修飾して、否定したい行動を悪い表現で罵って、「ほら、こういう事が今まであなたの生活を悪くしていたんだよ!!」と主張する事で、「私は高い価値をあなたに提供できているんだよ!」というアピールになるのだが、その辺は踏みとどまってちょっと自分の頭で考えてみた方がいいのかもしれない。

「その人の生活の改善をする」ことによって、価値を生む事が可能だ。逆を言うならば、その人の生活の悪い部分を取り除く事に成功すれば価値は出るのだ。もっと言うならば、その人の生活の一部を悪いものだと断定して知らしめる事で相手は耳を傾けるし、場合によっては価値が出たと感じてもらう事が可能になる。

執筆者がどのような意図でそれを書いているかを考えずに鵜呑みにするのは危険、という事である。

「だらだらするのは絶対的な悪!」という主張によって注目を浴び、価値を得た数年後、「リラックスタイムを適度に入れると仕事効率が上がるって知ってた!?」とか言う記事で世間の注目を得ようとするかもしれない。

「まるで逆の事を言っていて、意味がないじゃないか!」と思われるかもしれないが、注目を浴びるという意味は間違いなく執筆者にはあるのだ。そういう意味では、過ちも間違いも妄言も価値が出てしまうのである。

リラックスと俯瞰

何事も表現の仕方で、良いようにも悪いようにも見えるものである。
書き手が何を目的としているかはよく考える必要がある。
そしてそれは長期的な目線で物事を見ないと分からないだろう。

忙しさの中に身を置くと、長期的な目線で、俯瞰して物事を観察できなくなる。

他人にとっての都合の良い情報に惑わされないためにも、やはりリラックスする時間は大事である。