人生は投資の連続

「過労と低価格化でしか生き残れない才能のない人」ってのもこの世には居て、そういう人達は才能がないから今の生き方を続けるしかないのだろう。才能があったのならば、最初からそんな生き方はしない。

さらには才能を鍛え上げる生き方を続けている訳ではないから才能が育っている道理もない。きっと、目先の生活に追われてジリ貧の生き方を続けるしかないのだろう。

 

生き方には色々あってもいいのだけれども、やはりバランスの問題は大切である。才能だけひたすら伸ばした事によって、生活がままならなくなってしまったから、才能を発揮する場面に移行するまでに力尽きる場合もあるだろう。その逆に才能を練磨する事を一切行わず、ただ生きる事だけを重視した生活ならば、徐々に資産は先細るだけだろう。

 

ただ無為に生きて仕事をするだけで才能が鍛えられる道理なんかない。場合によっては、今の生活とは何ら関係のない行為に手を出して今の生活を苦境に立たせる事によって開花する才能だってあるかもしれない。そしてその才能への投資は必ずしも芽を出すとは限らない。それは通常の株式投資と同様、もしくはそれ以下の期待しかできないかもしれない。

 

さらには自分の才能だって、いつかは老化と伴に枯れていくのである。脳の部分に関しては、歳を取るにつれてより強力になる場合もあるとの事だが、純粋な肉体的な面においては絶対に枯れ落ちていくのが生命の定めである。要は、いつまでも自分の才能に投資ばかりしていては、それはそれでジリ貧になる、という話だ。自分の以外の何かに投資をして、それによって自己の安定を図る、という策略も必要になるのだ。

凡人は卓越しない

この辺をまとめると、「生命の維持」「自己の才能の練磨」「周囲に対する投資」という3つの方法によって、人は自己の生命の維持と強靭化を行なうのである。この三つを上手に使いこなせない人間は、どれか一部分が卓越していないと人生に何かと支障が出るのではないだろうかと思う。

 

「卓越していないと」という風な言い方をすると、夢に呆けたような思想を持った人達が出てくる。
具体的には、マンガがドラマが幅を利かせる現代では架空の天才共が溢れに溢れているので「すごい努力をすれば私もその天才共になれるかも!」というような理想に毒された考えを持っている人達である。凡人は卓越できないから、凡人なのである。

 

そもそも天才になるだけの器を大半の人達は有していないし、仮に持っていたとしてもその器を満たすだけの努力を行なう事ができない。さらに仮に器と努力の二点を満たすことができたとしても、天才の全てが幸せに生きられるとは限らないのである。天才になれば目立つだろうが、目立ち続けるという事は妬まれるという事で、孤立するという事に繋がり得るからである。

 

天才になりたくて、天才になろうとするならば別に良い。どうしても実現したい事があり、そのために天才になる事が必要だと言うのならばそれでも良い。だが、「楽をしたいから」とか「優越感に浸りたいから」という理由で一点豪華主義の天才になりたいと思うのならば、それは無理であるし夢を見過ぎた考えである。

どこに三年居続けるのか

「楽をしたい」とか「優越感に浸りたい」というのならば、先に挙げた「生命の維持」「自己の才能の練磨」「周囲に対する投資」をバランス良くその場の状況に応じて使いこなし、「金と権力」を手に入れた方が余程手っ取り早い。金があれば楽ができるし、権力があれば勝手に相手が優越感を提供してくれる。

確かに世間から一歩、先んじるためには「生まれ持った才能」と「それなりの努力」が必要であることは確かだが、それでも自己のエネルギーをどこにどれくらい振り分けるのか?というコスト分散と効率化については考えても損をすることはないだろう。

 

現代社会では石の上に三年座っても何ら成果は出ないけれど、権力者の傍に三年留まる事ができればそれなりの箔と知恵とコネができるのである。