社会人が親と仲が良いのが許せない人達

実家住まいや、親と仲がよいエピソードを聞くと両の眉毛を一つにくっつけよう必死になる人がいる。そしてブツブツ「えぇ、マジぃ、ありえねぇ」と若者ならば舌打ちを打ちつつ言い、中年ならば「成程ぉぉぉ、これがぁぁあ今どきのぉぉ若者ぉぉ」なんて溜息とキモい目線をセットで投げつけてくる。どちらも何かを主張したいようだ。

遠回しで気味の悪い不愉快な方法で他人に意見をぶつけようとする姿が大人ではないと思うのだが、その人達は「そんなのは大人である社会人がやる行為ではない!」と主張したいようだ。それによって、「俺たちはこんなに自立してるんだぜ!」というマウント取りまでしたいと欲求しているのだろう。見え見えである。うざい。

すごいどうでもいいと思う。大人とか社会人ってのが何かを断定して定義はできないけれども、それでも「他人の事にゴチャゴチャと口を挟んで偉そうな事は言わない」ってのは大人の嗜みの一つではなかろうか?世間に迷惑を掛けないのならば、それは個人の勝手である。別に親と仲良くしようが、そんなものはその人の勝手だろう。

「自分がこうだから周囲もこうしなければいけない!とか自分がこうやって成長したんだから皆もこうするのが当然!」みたいな押し付けがましい考え方、自分の道のりこそが正解だと思う傲慢さ。そういう思考こそが自立していない姿なのだと思う。結局、相手の事が気になって仕方がないし、自分の生き方が正解だと相手に納得してもらいたいという不安定な精神を持っているから、一々他人の私生活について気にするのだと思う。


自立と依存は案外似ている

親と仲良くしていても、自立している人はしている。というか親孝行として素晴らしい姿ではないのか?社会に出た途端、親の事など露知らずな具合で自分の事だけしか考えていない姿は自立というよりかは自己中である。自己中は自分の都合で相手に迷惑を掛ける行為なのだから、自立とは言えないだろう。

親と一緒に住んでいようが、一人暮らしだが月に一回は実家に帰っていようが、親も世間も幸福にするような活動を行っているのならば十分に自立だろう。そこを一々気にすることはない。

「親と仲が良いのは自立していない証拠なのか?」と気にして親と距離を離すようならば、それは問題である。仲が良い事は問題ではない。依存して頼り切っている事が問題なのである。その辺の切り分けは重要だが、さすがに社会人ならばその辺の区別は付くと思う。まぁでも、難しいか。「こいつは、私がいなければきっと生きていけないはずだ!だから私が支えてあげないと!」って思考は、案外誰かを助けるという行為で自分を支えていたりするから、自立と依存ってのは似ているのかもしれない。

自立して誰かを助けて生きるには、依存して誰かに助けてもらう人が必要なのである。そして全ての面において自立ができる人間など極々少数である。「依存して誰かに助けてもらう人」を支えることで自立してられる人が大半だ。ならば依存する人に寄り添う事で自立しているのだから、それはそれで依存し合っているのかもしれない。

そんな言葉遊びを延長させると依存する事に大義名分ができてしまうから、その辺は丁度良い所に収めたい所である。誰からどう見たって依存しかしていない人というのは存在するのだから。