プライドは捨てられません

プライドは「大事なもの」カテゴリに分類される道具である。特別なイベントがないと手に入れる事は難しいし、捨てるイベントも「指輪物語」くらいの何度を誇る。

プライドというのは自分の意志で自在に量を調整できる類の物ではないのである。何故なら自分の環境と取り巻く人間が自分にプライドを課すからだ。人が生まれてから死ぬまで一生孤独に生きるのであれば、プライドなんて言葉は誕生しないはずである。

プライドは捨てられない。中途半端であっても捨てられない。誰かと関わる事で、それは自然に発生するからである。というかまるでプライドのない態度というのは関わる人間をまるっきり舐めきっている行為にも繋がるから、プライドを捨てることを他人が期待するというのも、あんまり良いことではないと思う。誰だって舐められたくはないからね。


責任感がプライドを高める

プライドってのが、どんな要素で構成されているかと言うと、それは先程に挙げた「舐められたくない」という気持ちである。皆、馬鹿にされたくないから誰かを馬鹿にするのである。大抵の人間が持つプライドというのはコレに該当する。

だから、プライドを捨てる方法があるのだとするならば、「自分は舐められても構わない」。つまりは自尊心を捨て去る、自分の心を捨てる。言い方によっては自暴自棄になる。そういう行為が必要だろう。簡単な行為ではないのはお分かり頂けると思う。

ならば逆にプライドを増やす方法は何か?と考えるのならば、属している集団に対して責任感を持つことだろう。「皆を傷つけるのは許さない!」「皆のために行動する!」という気持ちが生まれると、行動の動機が増えるし、誇りに思うものも増える。

つまりは「大切にするものが増える事」がプライドを高める方法なのである。通常の人は大切な物が自分の心だけなのである。それが人によっては中途半端なプライドだと思うのだろう。

プライドを誰かにコントロールされていないか?

そもそもの話。何故プライドが低いと思ったのだろうか?自分でプライドが低いと感じたのだろうか?それとも誰かに「プライドが高いんだよ!中途半端なプライドなら捨てちまえ!」と言われたのだろうか?

自分で勝手にプライドが低いと感じて、どうにかしたいと考えたのならば、先の方法を応用して何とか改善を試みるのが良いのだろう。

だが、他人に何かを言われて思い悩んでいるのならば、それはちょっと立ち止まった方が良いかもしれない。美辞麗句を使用して説教をして誰かをコントロールするってのは悪知恵であり、結構メジャーな手段であるからだ。

やりたくない行動を無理やり他者から強要されている時にこの台詞を吐かれたのではないだろうか?ならばそれはあなたをコントロールするための罠である。


目的地に辿り着くためにプライドは必要か

自分が辿り着きたい場所に到達するためには、プライドは必要になるのか?それとも不要なのか。それこそが肝要なのである。

自分が本当に欲しい物を手に入れるために、恥ずかしさや屈辱が邪魔をして行動できないのであれば、プライドを剥ぎ取る必要がある。その逆ならプライドを付与すれば良い。まぁ、簡単な話ではないが。

まず大切なのは、今の自分のプライドの量は適切なのかどうか?である。まぁ大体の人が現状の状態で適切である。多くの状況において、顧問の先生とか仕事の上司とか親とかに言われて思い悩むケースである。つまりはプライドの量を操られているだけである。プライドの欠片もない行為である。

プライドという自分の心の問題なのだから、せめてそのプライドをコントロールするのは自分の意志であって欲しいと思う今日この頃である。