洗脳状態にあったから私は悪くない、無罪だと主張する人について。


順序ってあるよね

心神喪失状態を装って無罪を獲得しようとする人とまるっきり同じだなぁ。と思った。

確かに自分が悪くない。他人に強制的にやらされたケースというのは存在し得る。洗脳という技術は実際にあるし、悪用された実績もあるから、その意見が間違っているとは断定できない。

しかしながら、例え「洗脳という被害者」であったとしても、確かな現実として誰かに危害を加えているのは間違いないのである。ならば、開口一番に「私は洗脳されていた!私は悪くない!被害者だ!」と声を荒げるのはちょっと筋が通らないのではないだろうか?

何であれ、まず最初に被害を与えた人達に対して謝罪の意を示すのが順序として正しいのではないか?人の誠意というのを推し量るのは難しいけれど、それでも明らかな加害者が無実の材料ばかりを集めて広げているような行為を見れば、私はそこに誠意は感じられない。


やってみないと、わからない

どうなんだろうか。実際に自分が洗脳状態や心神喪失になってみなければ分からないのだろうか?まぁ確かに分からないのだろう。実際やってみてもいないのに、その時の状態を勝手に想像で埋め尽くして分かりきったような言動を発するのは私は好きではない、というか嫌いだ。

だが、先に挙げたような精神状態というのは非常にレアケースである。なろうと思ってなれるものではないし、防ごうと思って簡単に防げるものでも、きっとないのだろう。実際にやってみる事が難しいし、実際にやってみた時の被害は甚大である。だから、極論を言うならば、この件について非難の意見を猛烈に浴びせる事はできないのかもしれない。

実際にその精神状態になってみれば、誰もが開口一番「自分は悪くない!心神喪失または洗脳状態に陥っていたんだ!」と言いたくなる心境になるのかもしれない。どうしても絶対的な真実として公に訴えかけたいほどの感情なのかもしれない。

想像と推測で罰するしかない

罪を罰するというのは非常に難しい事なのだと、そんな事を思う。他人を何かをはかる時、人は想像や推測や過去の経験を活用することしかできない。しかも、それは自分という肉体と精神をベースにした思考である。結局は自分が基準なのだ。

身長2メートルの大男が「こちらに向かってトイプードルが走ってくる」という体験をした所で、きっと毛ほどの恐怖も感じないだろう。しかし3歳前後の幼児が同様の体験をしたら、場合によってはトラウマレベルの恐怖を味わうことになるだろう。

しかしながら、人が人を想像する時に、そういった要素までをも事細かに想像できる人はいない。さらには人はその時の機嫌次第で評価をコロコロと変化させがちなのにも関わらず、それを認めようとしない。そんな要素も人の評価が当てにならない根拠となってくる。

だから、「悪いイメージ」と「自己の未経験」と「自己の経験からの曖昧な推測」なんかが重なって、「こいつは悪いやつだ!言い訳しやがって!自分勝手なやつだ!」なんて憤って心の中で誰かを断罪するのである。

私がニュースで見た人は明らかに言い訳だとは思うけれど、それだって確固たる根拠はない。でも、だからと言って永遠に保留にしていては、いつまで経っても話は先に進まないし、誰も罪を償わなくなる。

間違っていても、どこかで判定を下さなければいけない。そんな葛藤を抱えながらでも、人は前に進むしかないのだろう。