皆、素晴らしい記憶を獲得するために生きている


何のために生きるのか?つったら、夢を叶えるためとか、愛する人を守るためとか、まぁ色々とあるのだろうが、それって究極的には素晴らしい記憶を自分の脳内に蓄積するための活動なんじゃないだろうか?と思う。

そらまぁ、夢を叶えた瞬間の幸福感ってのは、かなり気持ちが良いものなのは確かだろうが、それでも夢を叶えるために払ってきた不快感の総量と比較するならば、そこには雲泥の差があるはずだ。無論、不快感の方が多い。それは当然の話であって夢を叶えた一日の快感量が夢を叶えるまでの何千日という不快感の量を超えることは肉体的に脳内的に不可能だからだ。

それでも人は夢を叶えるために大きな犠牲を払うし、その対価として得られた割の少ない快感量であっても満足する人は多い。何故か?

それは夢を叶えることによって、素晴らしい記憶を獲得することに成功したからである。

自分は夢を叶えた素晴らしい人間だと言う記憶が一生涯に渡って残り続ける。自分は夢を叶えるために一生懸命に継続的に努力できる人間なんだという記憶が一生涯に渡って残り続ける。

その素晴らしい記憶は、毎日、自己の脳内に快感なる信号を渡して達成感と爽快感が混ざったような気持ちの良い感情に浸らせてくれる。そんな素晴らしい気分によって、日々を過ごせる事は精神的な幸福だけに留まらず、周囲からの評価も上昇する。自信があり、爽快に生きている人間は自然と評価が上がるからだ。おまけに、自分が達成した夢が、皆が憧れる類の物であれば評価は予想以上に急上昇する。憧れの存在というものになれる。

夢を叶える瞬間だけを見つめるのならば、それは夢を叶えるまでの不快感に比べて割の合わない快感かもしれない。しかしながら、夢を叶えた瞬間そのものよりも、夢を叶えた後の生活を幸福にする事が、夢を叶える事の素晴らしさなのである。

それは単に夢を叶えるという事に限定する必要はなく、素晴らしい記憶を獲得すれば近しい効果は得られるし、場合によってはそれ以上の効果が見込める。

瞬間瞬間を懸命に生きる事は大切だが、瞬間瞬間で物事を単純に評価するのは間違っている。「今さえ良ければ良い」という発想に、どこか退廃的な気持ちを覚えるのは、きっとそのせいだろう。

死ぬ時のことまで綿密に人生を計画する必要なんてないが、自分に死が近づいてきた時に自分の脳内がどんな記憶で埋まっているか。その辺ってとても重要な要素になってくるんじゃないだろうか?

人は金がない事に後悔する生き物である。だが、素晴らしい記憶で満たされていない事でも後悔する生き物なのである。

人は金で動く、世の中は金だ。しかし人は素晴らしい記憶を抱いて死んでいきたいと思う、人生は思い出だ。