漢字の変換が変換キーで変換できなくなった時、スペースキーで変換しようと変化できる私はまだきっと若い

普段やらないことを急にやり始めると大概の場合ストレスが発生する。今の私がそのようなものだろう。新しいパソコンを買ったのである。

別にパソコン自体にも問題は無かった。起動は早いし騒音の問題なども皆無だ。いや、厳密にはあった。というかありまくるのである、由々しき問題である。どうして漢字の変換がスペースキーじゃないとできないのだろうか?酷い話である。

今まで当たり前に使用していた機能が使えないことのストレスがこれほどまでに辛いとは思わなかった。普通のことをやっているはずなのに不快で不快で仕方がない。というか何で変換キーが効かないんだよ。

当たり前がこうも簡単に崩れされるとは。なんて自体だろうか。面倒極まりない事態だ。

こういう場合はどうするのが適切なのだろうか?変換キーが使用できないのは運命だと諦めてスペースキーで変換するように、これからは心掛けていけば良いのだろうか?これもきっと慣れの問題であるし、スペースキーの方が大きいし、どこの国のキーボードにも付いているキーであることは間違いがないのだから、これはこれで良いのかもしれない。

折角だから、そうしてみようかな、なんてことを思う。どうせいつかは変化を強いられるのである。これを良い機会と考えて変化するのも悪くない。どうせすぐに慣れるのだから。

というかキーボードで文章を打つ際のストレスというのはキータッチのミスに起因するのである。そういう観点で考えたときに、少ないストレスで文章を打つためには、できる限りミスを減らす工夫を凝らすのが大切であると思う。努力ではなく工夫である。

小さいキーを何度も正確に叩く努力をするよりかは、大きいキーを叩くように工夫をして、ミスの回数を減らすように変化したほうが、一度慣れてしまえばあとは継続した努力なんて必要なしに確実にキータッチを成功させることができる。

ああ、なんかポジティブっぽくて良いぞ。未だに右手で変換キーを押してしまいそうになるが、というか押してしまっているが、それも明日明後日には慣れきってしまっていることだろう。

新しい何かに慣れることができなくなり、既存の仕組みを最善だと思い、より良い何かに真っ向から否応無しに批判するという態度は老化の始まりである。そういう意味では私はまだ老化していないのだろうし、老化しないように働きかけることに成功している。

私はあと何回変化できるだけの若さを持っているのだろうか?その辺は不明であるが、いずれ私もめでたく老化した際には、新しい何かに対応しきれない脳みそが新しい何かを批判しまくって、きっとそのまま錆びて枯れていくのだろう。それでも変わり続けて新鮮でより良い物を取り込み続けていければ良いなぁ、と今の私は思うので、少しでも良い意味で若くいられるように努力しようとは思う。