面倒くさがりはシステムを劇的に改善させる天才の素質を保有しているけど、それでも企業にっては努力大好き人間が愛されて重宝される理由があるから面倒くさがりは独自の戦略を立てねばなるまい

面倒な事が嫌いな人が面倒な物事に取り組むと、その面倒な物事はシステムの改善や作業の工夫により、徐々に面倒さを減少させていく。面倒くさがりは、当然、面倒な事が嫌いなので面倒な事を減らそうとするのだ。

逆に、面倒な事なんて別に苦痛には感じない。それをヒューマンパワーで乗り越えていくのが大好き!というやる気に溢れているNHKが喜びそうな人物はシステムの改善に積極的に取り組もうとは思わないだろう。その人達は人間達の努力で何かを乗り越える事が仕事だと考えているし、何故か努力という概念を無条件に酔狂に信じ込んでいる。だから、見栄えは良いし見かけ上のパフォーマンスも良いのだが、長期的な視点でそれを観察すると劇的なシステム改善は見られない。

別に面倒くさがりを賛美して、努力信仰者を否定する訳ではない。

面倒くさがりは、強制的に義務的にそれに取り組む機会を押し付けられでもしない限り、何もしようとしない。世界のほとんどは面倒な物事で溢れているからだ。「やらなくて良い事はやらない」が面倒くさがりのモットーである。

つまりは、面倒くさがりが何もやらない事に成功し続けていると、長年の成功が仇となって「無能ステータス」を獲得してしまう事態になり得るのである。どんなに性格が長期システム改善に対しての適正があったとしても、低すぎるスペックの人間はどの現場でも求められない。

逆に、努力が大好きな人間であれば、劇的な効率化は望めなくても、着実な能力アップは十分に期待できるのである。平均より多少優秀な人間が大量に誕生するのはこちらのケースの方が圧倒的であろう。

そういう意味では、天才よりも秀才を求める組織において、努力大好きな人間が重宝され求められるのは自明の理だと言えよう。面倒くさがりから生まれた天才は組織に馴染む事も難しいし、組織の人間がその天才性を見極めることも不可能である。

よって、「面倒くさがり」で「面倒くさがりな風貌」をしている人ってのは基本的に組織での面接ではあんまり高い評価を得ることができない。「スペックの高い面倒くさがり」が組織の門を叩くケースは非常にレアであるし、「スペックの低い面倒くさがり」を育てて成長さえるコストとリスクは非常に高いからだ。

だったら、天才にはなれなくても秀才になり得る可能性を秘めている「努力大好き人間」を率先して採用した方が安定安心な経営が望めるのである。

という訳なので、面倒くさがりは「課題を強制的に着手させられるという恵まれた環境」に存在しない限りは才能の花を咲かせるのは中々難しい。

面倒くさがりが自分一人で成長して成功していくには、どうにも自制心という奴が必要になってくるのである。「面倒だけど、仕方がないから、まぁやるか」という気分にさせてくれるだけの装置が必要なのである。それを環境に求めるか、自分の脳内に求めるかという違いはあるが、その要素はやはり必要なのだ。

努力大好き人間は天才にはなれないかもしれないが、幸福になれる可能性は非常に高いし、愛される可能性も非常に高いし、小金持ちになれる可能性も高い。

面倒くさがりはその逆だろう。

まぁ、そんなこと言っても、自分の人格を自分で選択することはできないのだから、自分の現在の人格を鑑みて、それに合わせて冷静に環境を選択するのが吉なのだろうと思う。

自制できない面倒くさがりは、特に環境選びに注意すること。ブラック企業ではないけれど、そこそこ自分に対して厳しく強制力を持って愛情深く仕事をさせてくれる職場を選択すると幸せになれるかもしれない。