決まらない状況が続いた時に、ふさぎ込んで思い悩むのが如何に無駄かという話

決めたい事がある。だから考える。でもたくさん考えても中々決まらない時もある。そうすると時間を物凄く無駄にしてしまうことになる。でも決めたいから考える、煮詰まる、時間を無駄にする、焦る、決まらない。

なんでもかんでもスランプという言葉を自分の不調を誤魔化してしまう大人にはなりたくないけれど、それでも人は目標に向かって全然前進できない時がある。全力なるエネルギーを注いでいるにも関わらずだ。

エネルギーに対して成果があまり得られていない状態が続いている場合、やっぱりそれは何かどこかに原因があって、それを取り除いてあげないと状況は変わらない訳だ。上手くいっていない状態を固定させた所で、上手くいく訳がない。そりゃあ何回も叩けば壊れる壁もきっとあるだろうが、今の状況がそれに該当するかは、きっと本人が一番理解しているのではないだろうか。

そう、状態を変化させることは状況を打開する方法の一つなのである。というかそれ以外にどうやって打開するのだろうか?周りに助けてもらうのを待つか?それとも天に助けてもらうのを待つか?希望の持ち方は人それぞれだが、あんまりオススメできるものではない。

だったら、自分の状態を意識的に変化させて、見てる景色の見る角度を変えて、受け取る情報を変えてみるしかないだろう。つまりは悩んでも悩んでも決まらないで煮詰まっているような事がある場合は、とりあえず考えるを辞めるか別のことをするのが吉ということである。

そんな行為を不誠実だと考える人もいるかもしれないが、自分が望む目的に対して最善の行動を取らない方が余程不誠実ではないだろうか?悩んでいる姿を格好良いと思うかもしれないし、悩んでいれば誰かに同情してもらえるかもしれないが、それは得策ではないのだ。

そうやって見える景色を変えてみると、思いがけない所にヒントが見つかったりするかもしれないし、ずっと前から知っていたのに不思議と気付かなかったことに気付くかもしれないし、そもそも決める必要がないってことに気付くかもしれない。

Aという存在がBという状況でCという結果を求めようとすることが不可能ならば、それはずっと不可能なのである。10キロの力以上で持ち上がる何かは9キロでは絶対に持ち上がらない。その決定は絶対に覆らない。

だから、どれかの要素を変化させることでしか状況は打開できないのである。至極単純である。