知的作業の集中力を長時間のトータルで向上させる、という考え

マラソンの速度で知的スポーツに取り組む

高い集中力を長い時間持続させることは難しい。

それは言ってしまえば、100メートル走のスピードで42キロメートルを走り抜けることくらい難しい。というか無理だ。

肉体的な話になれば簡単に理解できるそんなことも、どうやら知能的な話になると理解不能になってしまう人がいるようだ。見えない物にはあらぬ想像や不要なバイアスがかかってしまうものなのだろう。

だからこそ、到底実現し得ない理想的な状態をイメージして、それに届かないと集中力が足りないと嘆いてしまう人達は多いようだ。別にそれは普通である。最高状態の集中力を長時間発揮するのはそもそも無理なのだから。

ならば目指すべきは最高ではなく最善である。現実的に実現できるレベルの集中力を見極めるのである。知的スポーツ的な観点でのマラソンの速度ってどんなものなのか?と考えるのが妥当な努力である。

まさかマラソン大会で最初から100メートル走を走り抜ける速度で全力で飛ばして優勝できるような輩はいないだろう。つまりはペース配分を上手に行うことによって、より長距離をより高速で走り抜けようという努力を突き詰めた者に優勝旗は渡されるのである。いや、マラソンに優勝旗はないか、なんか金メダル的なものが渡されるのだ。


ゆとりは故障を減少させるかもしれん

知的スポーツを続ける時間は人によって違うけれども、その間の瞬間だけが高いパフォーマンスでは意味なしなのである。カフェインをがぶ飲みして一瞬だけ猛烈に働いたって、その後に外に出てスマホをいじり回してはトータルでマイナスの効果なのである。

そんなこんなを鑑みると、知的スポーツにおいて、散歩とかの行為ってやっぱりすごく重要なんだろうなぁと思う。タバコ休憩とかも、タバコを吸わない人から見ればサボっているようにしか見えないだろうが、それなりに有益な行為なのかもしれない。まぁタバコを吸わない人は認めないだろうが。

一見すると、サボっているかのような休んでいるような行為を合間に取り入れることが、結果として長期的なパフォーマンスに好影響を与えるかもしれない。私はそう言いたいのだ。きっと。

マラソンだって、全力疾走に比べたらおサボりである。でもそのお陰で長い距離を走れるようになるのである。

真面目過ぎる性格によって「集中するためには心も殺して体を痛めつけてカフェイン様のお力を頂き全力で取り組まなければならない!」と考えている人がいたとしたら、ちょっとだけ落ち着いて考えてみてほしい。

ゆとりのない設計は故障を起こしやすいのである。故障を起こしてしまえば、それは長期間何もできないことになる。成果は減るのだ。

丁度良いゆとりが良い影響を及ぼすこともあるかもしれないのだ。