多少は世間に対して譲れない「極端な考え」や「アホな考え」があった方が生きてて楽しくなるじゃないか理論

極端から極端へとコロコロ考えを変えるのはアホのやることだと、ある少年漫画で読んだ記憶があります。

極端というのは思考としては非常に理解しやすく、また同じように考えを進めていけばいいのだから、アホにはピッタリの発想だからなのかもなぁ、と私はふと思いました。

漫画やドラマならば劇的な展開や分かりやすい善悪が伝わりやすく描かれますから、極端な思考であってもきっと想像上の人物達は生きていけるのでしょう。

しかしながら、現実というのは言ってしまえば漫画やドラマの正反対です。展開は基本的に亀のような速度であり、展開も曖昧ですし誰も自分の意見をはっきりと言いたがりません。できる限り敵を作りたくない人としての心理ですね。さらには、何が善で何が悪かなんても案外適当なモノですし、自分自身が変わればあっさりと善悪が変わってしまうのです。

要は現実ってのは曖昧で展開遅く何が正しいのがよく分からない、そんなモヤモヤした世界なのでしょう。だからこそ、そんな世界に適合しない「極端でしか物事を考えない」人というのはアホと呼称されるのではないのかと。

とは言っても、「自分は絶対に何々になるんだ!」とか言う、絶対的な信念を持っている人が成功するケースが、どうにも世間では多量に流通しているようで実の所、アホの成功したりするのでしょうか?どうなんでしょうか?まぁメディアは分かりやすいキャラクターを成功例として取り上げた方が作品として伝わりやすいから、そういうケースばかりを起用するという背景を鑑みると、なんとも言えないですよねぇ、って感じです。

まぁ、極端に考えた方が精神的には楽に生きられそうな気がして、ちょっと羨ましかったりもしなくもないです、まぁそういう考えになりたい訳じゃないけど。

ある程度大人になってからは、曖昧ってのも中々悪くないなぁと思う次第です。ってのは、人間はどんどん深く突き詰めてしまうと結局は誰も互いに理解し合い信用し合うことができなくなってしまうからです。だからこそ、曖昧な所で、なぁなぁの関係で決着を付けてしまい人間関係を円滑に収めるというのは大人の知恵なのではないかなぁと、私は切に思います。

一人ひとりの人間達と、腹を割って理解し合えるまで徹底的に話し続けるなんてことを関わる人間全てに行っていたら、人生が何百回あっても時間が足りないですからね。だから、丁度良い所で、うまい具合に、なんかいい感じにケリをつける。それが社会で大人の素晴らしい所なのでしょう。

ですが、そうやって何でも曖昧で適当でなぁなぁで済ませてしまうと、「じゃあ私の人生って一体なんだったの?」っていうよく分からない感じに自分の人生のストーリーが展開してしまいます。意味のない人生。究極的には生命そのもの意味がなくったって、それでも自分自身が歩んできた道のりにはそれなりの意味を設けたいのが人間です。

そう、何でも曖昧にしてしまうとストーリーに道筋が見えないから、何が何だか分からなくなって、つまらないものになってしまうのです。曖昧で適当でなぁなぁだと、快適に生きられても、退屈な人生になってしまうのです。

だから、一つや二つくらいは、他人と衝突してしまっても仕方がないし、それで面倒くさい事態に巻き込まれてしまうとしても、何かしら「極端な考え」、言い換えれば信念みたいなものを心に抱えておくと、自分の通ってきた人生がそれなりに意味のあるものに見えてきたりするんじゃないだろうかと、私は提案したい。

人間は少しくらいはアホにならないと楽しくならないってことですね。夢や希望はいつだって荒唐無稽で極端ですが、それが人を前進させ楽しませてきたのです。アホもバカにはできません。