「暇と創造と自己陶酔」は世間からは嫌われるけれど、自己を癒やす孤独な薬だ

休暇は暇でも許される

暇を持て余すことは悪いことではない。創造は余暇から生まれるからだ。

創造的な時間は、それがどんなに陳腐でもありふれていても、主観的体験からすれば充実している。
創作活動に没頭できる時間というのはそれだけで本人にとっては素晴らしい。

そんな創造は暇なくしては発生しないし、社会生活に縛られて常時脳みそを緊張させている状態では成立し得ない。

そういう意味で、休暇に予定を隙間がないほどに詰め込んでしまうのは休暇らしくないのかな、と思う。

周囲が期待するような休暇らしい休暇の予定を存分を詰め込めば、週明けの仲間との会話に事欠くことはないだろうし、きっと家族も安心する。

だが、やはり周囲の事を気にかけて行う活動なんかじゃ心は休まらないし、癒やされない。肉体が回復しても精神も一緒に回復しなければ人はいつか力尽きる。

だから、暇を持て余して創造に満ちた時間を誇りに思うべきだし、そういう自分だけの世界を少しでも所持するために社会と自分の心との間に境界線を引き、一定以上の孤独を確保することは大事なことなのだと思う。

暇と孤独は心を回復させるし、ストレスと社会は財布を潤す。だから仕事や学業の日はストレスと社会の荒波に揉まれ、休暇は孤独の海に浮かんでいればよいのだ。


過程と自己陶酔は自らを癒す

結果と過程、どちらが重要か?よくテーマに話題であり、まぁ綺麗事に溺れた人は過程を重視するし、シビアな世界で生きた人は結果を重んじて、中間管理職的な人は両方大事なのが当然だと言う当たり障りのない意見を出す。

結果と過程、どちらが重要か?についての答えについて、今の私はあまり興味はない。自己完結の創造に満ちた世界については過程が良ければ、それでいいんじゃないか。

綺麗事に溺れた人のように、「人間、頑張ったことそのものが素晴らしいのです!だからみんなが一等賞!」なんてことではない。世間を巻き込まないで迷惑を掛けないのならば、好きにやりゃあいいじゃないかって話である。

そういう世間から分断された自己陶酔できる孤独な世界ってのを胸の内に秘めることが、自己管理や自立心を育むだろうし、そこで癒やされるからこそ人は社会生活で仮面を被って生活ができるのだ。

過程だけで満たされる世界があってもいいじゃないか。社会は結局の所、結果でしか評価しないのだから。

過程を評価するって主張する人達もいるが、それは過程を売り物にして金銭的利益という結果を得る人か、はたまた直接的に金銭的利益を得ようとはせずに権力や地位を獲得を目論んでいる人達である。権力や地位を獲得した人間が次に求めるのは当然ながら、金だ。

自己陶酔は世間に対して吐露すると気味が悪い。だれもそんな物で救われないし、利益にもならないからだ。

だが、自己陶酔が必ずしも悪い訳ではない、それは時として自分の心を癒やすからだ。

酒に酔った人間を素面の人間が相手をするのは面倒で不快だろうが、自分自身が体験する酩酊感を心地よいと感じるケースがあるのは事実だろう。
それに、酔っぱらい同士が共通の話題で盛り上がるのも心地が良いことだろう。そういうことである。

暇は世間から疎まれるが、それは創造を生む。

創造は自己陶酔と過程だけしか発生させない場合もあり、それを世間に公開すれば疎まれるが、それでも自己に留める限りは癒やしになる。

世間との距離を上手に取り、余暇と創造を楽しみ、社会を逞しく生きる。

それが大人の嗜みという奴なのだろう。