俯瞰から主観へと変化する/年齢を重ねて丸くなる必然について/9mm parabellum bullet/DEEP BLUEを聞いた感想

9mm parabellum bulletの最新アルバム「DEEP BLUE」を聞いて思う。良いアルバムだと。

だが、同時に思う。「この人達も年を重ねていっているのだなぁ」と。

人気アーティストが長いこと活動を続けていくと自然と作風が変化していく。
ずっと同じような曲を作っていては商売にならないと意味合いもあるだろうが、やはり人は変化という事柄から逃れることは不可能なのだろう。

その変化の中で全ての人間に等しく与えられるのが「老い」である。

どんなに若くて荒々しくて元気な人間でも50年後の姿を覗いてみれば、その限りではない。
今から50年後の方が精力的に活動できる人間というのは超レアなケースだろう。基本的にはあり得ない。

そんな「老い」という変化の中で9mm parabellum bulletの方々も変化したのだろうなと思った。

それを感じたのは歌詞だろうか?それともメロディだろうか?きっと両方だろうが、特に強く感じたのは歌詞だろう。

「君は桜」「いつまでも」という2曲。私は「いつまでも」のギターソロに痺れた口ではあるが、この両曲は今までの9mmでは作られなかった曲のように思う。

無論、叙情的な楽曲や優しい歌は今までにも作成されてきた。「スタンドバイミー」や「カモメ」なんかがそうだろう。だがこれは言ってみれば物語的な楽曲である。

一つの映画でも見せられているような楽曲である。創作という印象が強い。まぁ音楽は皆、創作なのだが、よりアーティスティックという印象だ。

それに対するように「君は桜」「いつまでも」の2曲は物語的ではない。主観的であり個人的であり叙情的なのである。特定個人の誰かに対する強い気持ちを赤裸々に歌った曲である。

「スタンドバイミー」や「カモメ」が映画を見ているような曲であるならば、「君は桜」「いつまでも」は結婚式で自らが歌いたくなるような曲なのである。

この違いはなんだろうか?どのような変化がこの違いを出現させたのであろうか?

と考えると、それは作詞者が主観的な体験として、愛情深い経験を多く積み重ねたのだろうな、と思う次第である。

音楽には、芸術的なものや、癒やしを与えるものや、他者に気持ちを伝えるもの等など、様々な種類があるけれど、「他者に気持ちを伝えるもの」という物の割合が増えたのだろうなぁ、なんて思う。

それはとても人間的であり、「老い」という現象が生じるくらい長い時間を生きてきた証拠でもあるのだろう。

「バンドとして丸くなった」という意見もあるだろうが、人間どうしたって、年齢を重ねれば主観的体感の思い出量は増大していくのである。仕方のないことである。人は生きれば生きるほどに知り合う人間も大切な人間も素敵な思い出も増えていくのだから。衰える体と増える素敵な記憶によって、人は丸くなっていくのである。

そんなこんなで最新アルバムの「DEEP BLUE」はとても良いアルバムでした。

個人的にはアルバム発売からPVが流れていた「キャリーオン」が最高でした。こんな素晴らしい曲を作るバンドのアルバムは買わねばなるまいと思って、購入に踏み切ったくらいに最高の曲でした。