「血の気が多い」とは体力満点と理性の欠如という合せ技によって発生する憤怒という状態を遠回しで表現しているが、それでも体力が溢れていることには注目したい

「血の気の多い人」というのは怒りっぽい人を遠回しで表現する言葉だ。

何故遠回しにするのかと言えば、「怒りっぽい人」に「あなたは怒りっぽい人だ」と指摘したら怒られるに決まっているからだろう。

あまり近寄りたくない物事に対しては遠回しな表現が多用されるんじゃないだろうか。だから、「最近、周りの人の発言がまどろっこしいなぁ」なんて思ったのならば、もしかしたら周囲から嫌われているのかもしれない。敬遠という形で。

そんな可能性はさておき、血の気は大事だ。血液がないと人間は死んでしまうし、血液がたくさんあれば人間は元気に動ける。あり過ぎると元気過ぎて怒りに転じてしまう可能性も否めないが、その辺はその人の精神制御能力に依るのだろう。

血の気がなければ怒れもしない。怒りは基本的にはよろしくないが、それでもエネルギー量は大切である。体力が物凄いレベルに達していれば、おつむのレベルが平均的であっても大金を稼げる可能性は結構高い。生きれば生きるほどに、世の中、頭脳以外でも成功する手段って結構たくさんあるのだなぁ、と思う。

だから、まずは血の気なのである。体力なのである。血の気を手に入れれば、その弊害として怒りが付いてくるので、次に精神コントロールである。

血の気が先なのか、精神コントロールが先なのか。どっちの順番が良いのかと言うとその辺は微妙だが、体力バカは精神的タフさも同時に獲得し、迷惑かもしれないが豪快に世の中を生きていくことができるので、できることならば先に体力を獲得しておいた方が無難ではないだろうか。

精神コントロールという知性も勿論、魅力的ではあるが、それだけしか能力を獲得していないと、度胸不十分により一生自宅謹慎の罰を受ける可能性も出てくる。社会問題として取り沙汰され、世間から嘲笑受ける事態になってしまう。

「血の気の多い人」と周囲から不遇の扱いを受けたくはないけれども、体力満点で人生を謳歌したいものである。

筋トレしよう。