人生が停滞している時にするべきことについて

自己鍛錬

自己鍛錬であると私は思う。よく世間で言われるように「他人と環境は変えられないけれど、自分は変えられる」という奴がやっぱり正しいだろうなぁと感じる今日この頃である。

自分の体なら動かせる範囲内で動かし放題だし、自分の頭だって頭の良さの範囲内で考え放題である。他人の体を操ろうと思ったら、超能力を獲得するしかないので、中々難しいのである。

停滞期だと感じるということは、往々にして「結果に繋がらない」とか「環境に変化がない」とか考える時である。自分の周囲の物事を長期的な努力によって変化させようと頑張っているのに変わらないからこそ、人はそれを停滞期と呼ぶのである。

だったら、変えられるのは自分だけじゃん。というシンプルな結論である。

とは言っても、自分自身だって、そんなにすぐ変わる訳ではないんだけどねー

それでも長期的にコツコツと何かの行動を起こし続ければ確実な変化が起こるのは確かである。

変化が少ない状況でも、不断の努力を実践できる人が将来的な勝利を掴めるのである。本当かどうか知らんけど、なんであれ、何も変わらない状況で、何もしないでいたって退屈なんだから、何かやっていた方が楽しいんじゃない?ってな感じである。


「慣れ」と「飽き」と「繋がり」

それにしても停滞というのは退屈である。自分を取り巻く環境に慣れきってしまっているけれど、その次のレベルに進めない状態というのは悶々とした気分になる。「次に進めない理由」というのも単純に自分の能力が原因という訳でもなかったりするから、色々と面倒である。

人間には、家族や友人や仕事仲間や義理や人情や契約や経済やタイミングなんていう、有り難くも面倒なしがらみが纏わり付いてくるのである。外で誰かと挨拶を交わせば、もうその時点でしがらみ発生である。縁もゆかりも皆しがらみである。良くも悪くも「繋がり」という属性は人を楽しい状況を導いてくれたり、面倒な状況に留まらせたりするのである。

そんな「繋がり」によって、今まで生きて来られたのであれば、今現在、そんな「繋がり」に縛られていたとしても、それは仕方がないのかもしれない。一つの特徴に対しての長所を享受するのであれば、もう片方の短所も飲み込まなければいけないのだろう。

ってな訳で、人生が停滞している時は、機をうかがいつつ、自己研鑽に励むのが宜しいのではないかと思う今日この頃である。