休息は取り過ぎると体が怠くなり余計に働けなくなるし、働き過ぎると緊張感によって元気だと錯覚して健康リスクを抱えてしまう問題について

慣性って奴なのか

部屋の中に何日も引きこもっていると、不思議な事に気持ちが暗くなっていることに気が付かない。

社会的義務によって外出しなくては行けなくなって、体に鞭を打って外に出て帰ってきた時、ようやくそれに気付く。そうだ、私は暗かったのだと。

一日の半分ぐらいをベッドに横たえているというのに、気力は回復せず体の筋肉は衰えるばかりである。これでは休憩によって回復ではなく退化が行われてしまっている。

その逆に、一日中フルに何かに対して外で活動してきて、疲労困憊、心神耗弱なんて状態になるに決まっていると思い込んで家に到着すれば、元気が溢れ出して余暇を精一杯楽しんだりする。

あまりにも不思議である。体を休めれば体が動かなくなり、体を動かせばさらに動くようになる。

私はあまりにも多くの休息を取り過ぎていたのだろうか?もっと盛んに働いて、どうしようもなく疲れた時だけ休めば良いのだろうか?その辺の調整について私は認識を誤っているのかもしれない。

とは言っても、そんな事を言って24時間働いて、体の疲労信号を無視して全力疾走して、ふとした瞬間にいきなり倒れてそのままこの世とさようなら、ってのは勘弁したい。だったら緩やかにマラソン気分で長く気持ちよく走りたい。


錯覚する脳

そんなこんなを考えると、自分にとって丁度良いエネルギー発散量ってが分からないよなぁ、と思う次第である。

健康なレベルを維持した上で、最大限動き回りたいのである。ただ、疲労の感覚だとそれが分からない。

だって、休日を丸々一日頂戴すれば、次の日はだるいのである。だるいという事は疲れているという事であり、休めと判断してしまう。

でも休日返上で丸々一日働いていても、次の日が元気だったりする。緊張感が抜けていない事を元気だと錯覚してしまうのだろうが、まだ大丈夫だと判断してしまう。

要は、体が怠けている状態と疲れている状態を同一に判断してしまっているのだ。体が緊張している事と元気な事を同じ事だと考えてしまっているのだ。

それは「もったいない状態でもあり、危険な状態でもある」のだ。

怠いだけなのに、疲れていると判断して何もしないのは機会損失だし、緊張しているだけなのに元気だと判断して過剰に活動するのは健康リスクを抱えてしまう。

きっとそれが上手に判断できていないのだ。

なんかいい方法はないだろうか。