外見に恵まれている方がおしゃれの喜びは増大するけれど、ブサイクでも普通の外見でもおしゃれをすることが良いことなのは確かだ

おしゃれに対する投資の効果は人によって違う

おしゃれをするという行為は、動作としては難しいことではない。だが、精神的には困難を伴う場合が多い。

それは人によりけりなのだが、「人の何によりける」のかと言えば、それは外見なのである。顔でありスタイルである。

外見的に恵まれている人はおしゃれをする事に抵抗がない。むしろ率先しておしゃれを楽しむだろう。綺麗な素材に美しいファッションを被せるのは芸術であり他者へのサービスであり自己満足に繋がるのだから、楽しくて仕方がないだろう。

だが「そうではない人」。外見的に恵まれていると太鼓判を押されない人はおしゃれに対して抵抗がある。他者から「みっともない、調子こいてる」と思われる可能性を恐怖するからだ。

また、自分自身を着飾って観察した時に、それを美しいと思えない時の心境というのは辛く悲しいものだ。

「何故こんな高い洋服を買ったのだろうか?」「それに見合った美しさが発揮されているだろうか?」「もっと外見に恵まれている人が着るべきではないだろうか?」「急におしゃれをしたら、周囲から小馬鹿にされるのではないだろうか?」

そんな不安と疑問が脳内を巡り、ついには大金払って買った洋服をタンスの中にしまい込んで、いつもの地味ファッションで安心してしまったりする。


ファッションに対する迷いと葛藤

自分だって他人のファッションを「似合わない」と感じたことがある。だったら、他人だって自分のファッションを素直に心から褒めてくれるとは限らない。無論、お世辞では褒めてくれるだろうし、笑顔を見せてくれるだろう。だがそれが社交辞令だと言うことくらい自分自身だって身に染みるほど分かるはずだ。

心の底から他人を綺麗だと思った時、その人の口から褒め言葉が出てくることは少ない。何故なら、本当に美しい物には人間は言葉を失うからだ。絶句する。それが心酔だろうが嫉妬だろうが素直な言葉は妨害される。

「似合うね」と言ってくれることは素直に嬉しいし、社交辞令を言ってくれる程度には仲が良いことを喜ぶべきであろう。

それに他人から何のコメントをされないからと言って、間違いなく美しいという訳でもない。酷すぎて言葉を失うケースだってあるからだ。

だから、その辺を総合して考えると社交辞令でも褒めてくれることは有り難いのだが、その辺の事柄をグルグルと考えてしまうことは、非常にストレスなのである。

それでもおしゃれは美しい

外見に恵まれていない人のおしゃれがどれほど大変か、という事を述べた。

恵まれている人は自分自身でも楽しめるし、他者の反応も好意的な物だと分かりきっている。だから迷いも葛藤もない。

でもそうではない人は、払った金額分の喜びを自分自身で味わうことができないし、他者の反応も不明確な所が多い。だから迷いし葛藤するしストレスが溜まるからおしゃれから遠のく。

富めるものは、さらに富む。とこ法則は何も金銭に限ったことではないのである。

世の中の極々少数の美しい人々はそれを理解して優しくして欲しいと思う。

そして世の中の平々凡々たるそうではない人々もそれを再認識して自分にも他者にも優しくありたいと思う。

他者から見える外見という物を少しでもよく見せようとする努力に罪なんかないのだから。

でも、あんまりにもダサかったら、言ってあげるのも優しさかもね。